歴史

沿革・地勢

 田舎館村は、津軽平野の南部に位置しており、縄文時代や弥生時代の遺跡が数多く確認されています。なかでも弥生時代中期末の水田が656枚発見され、全国的に有名になった史跡「垂柳遺跡」があります。弥生時代の水田跡は埋蔵文化財センターに保存され、その時代の息吹を今に伝えています。

 昭和30年4月1日、田舎館村と光田寺村が合併して誕生した田舎館村。東に八甲田連峰、西に岩木山をのぞみ、村の中央を浅瀬石川、弘前市との境を南北に平川が流れており、土地の大部分は沖積土(河水が運搬して沈積して生じた土壌)でおおわれています。豊かな水と肥よくな土壌は今も昔も私たちにたくさんの恵みを与え、変化することはありません。

 これまで農業を基幹産業としながら、弘前市と黒石市の中間に位置する立地条件を生かし、企業誘致を進めるなど緑と工業の調和した稲かおるふるさととして発展していく取り組みが続けられています。

 

地名の由来

 「田舎館」の地名はいつごろ、どうして生まれたのかはっきりしませんが、天文の郡中名字(1546年)という村帳には「村は津軽田舎群に属していた」と記されています。また昔はこの辺一帯が蝦夷の中央であったため、「夷中」と称され、のちに「田舎」となった説や、大和言葉の「稲家」からくる、米づくりに関係が深い地名とも言われています。

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